10代の地図帳
はな さん(モデル・タレント) 

 はなさん(47)はモデル、タレントである。高校のデビュー以降、堪能な語学を生かし、教育番組、ラジオパーソナリティーに幅広い活躍を続けるが、その真骨頂は、異彩を放つライフワークにある。大学時代に出会ったという、「仏像」、独特の間合いを持つ、「お菓子作り」、祖母から受け継ぐ「『着もの』を通しての日本文化」――。どれも、深い愛着と、こだわりに溢れる。駿才の十代、その道行きを訊ねた。

横浜のお生まれですね。どんな少女時代を

 子どもの頃は、もうとにかく頑固な子どもだったようです。よく母親が言っていましたから(笑い)。そんなこともあって、親はこの時「stubborn(頑固)」という単語を覚えたそうです。自分が思ったことはしっかりと口に出して意思表示する。そういう子でしたね。

インターナショナル・スクールに通っていたとか

 2歳のときからです。インターナショナル・スクールは、まず「キンダーガーテン(幼児園)」に入って「モンテッソーリ(子供の発達に最適化した教育を施す小学校)」へ。そこから小学校に上がります。小学校に入るのは10歳ですね。

その頃の思い出は

 カトリックの学校だったので、カフェテリアでご飯を食べていると、シスターが見回りに来るんです。カフェテリアでは、小学生が低学年から高学年まで、ズラリ並んでランチを頬張っている。食事のメニューは基本的に自分で注文します。その日も、いつものようにランチを注文すると、真っ赤な飲み物が付いてきた。それは「ハワイアンパンチ」というフルーツジュースだったんだけど、それをご飯の上にこぼしてしまったんです。それでもう、「真っ赤なご飯を食べたくない」と言い張って。でも背後にはシスターがキッと厳しい顔をして見張っている。それでも「絶対食べない」と意地を張るうちに眠くなってきて。で、気づいたら寝ていた。そのときは従妹が呼び出されました(笑い)。 

初めて日本のコミュニティに参加したのはいつごろ 

 空手を習い始めてからです。それまでも、近所の子たちと交流はあったけど、そこで初めて、日本語しか話さない友達ができました。6歳まで中華街で暮らし、それから、ほど近い元町に移ったんです。でも、毎週日曜日は、きまって中華街にある祖母の家に親戚一同が集まったから、中華街の空気は、変わらず生活の中にありました。空手の道場は、そんな中華街の中華学校の中にあったんです。そういう意味では、空手も生活の一部のような感覚でしたね。

カルチャーショックのようなものはありましたか

 インターナショナル・スクールで学んでいると色んな国の子がいるんです。当然、日本人の生徒もいる。そういう意味では、あまり違和感はなかったですね。ただ、学校では普段から2カ国語で話したりしていたので、「日本語だけ」というのは、少し新鮮だったかな。でも、なにより衝撃だったのは、空手の指導でしたね。授業の前には必ず「般若心経」を唱えなければいけなかったり、板張りの床の上で正座させられて竹刀で叩かれたり、滝に打たれたり……。辛かったですけど、5年間続けたおかげで我慢強くなりました。

芸能界入りはいつ

 16のときです。インターナショナル・スクールには、3カ月の休みがあるんです。休みに入って最初のひと月は、夏期講習やプール通いで忙しいんですが、大抵、2カ月目には、家で寝そべっている。見かねた母が、「そのままじゃ『家ダニ』になる。何かしなさい」って(笑い)。それで、モデルをしていた従妹の紹介で事務所に入ったんです。でも、その当時、『ノストラダムスの大予言』が凄く流行っていて、私もすっかり信じ込んでいた。「自分は27歳でこの世からいなくなるんだ」って思い込んでいたんです。だから、その頃の人生設計は、割と27歳までのもので彩られていて(笑い)。

当時描いた将来の夢は

 親の後押しもあってせっかく英語を話す環境にいるし、フランス語もできる。自然、「言葉を仕事にしたいな」と思っていました。通訳とか……、ザックリとですが、何かそういう仕事でバリバリ働いている自分を思い描いていました。

芸能の仕事の印象は

 17の頃からモデルとして働き始めた。でも、最初は、完全にバイト感覚でした。土日だけの仕事だったというのが理由ですが、というのも、そもそも学校がモデルやタレント活動禁止だったんです。親に相談すると、「学校を休まず、成績も落とさなければやってもいいんじゃないか」って(笑い)。それで始めて。でも、おかげさまで、学校は皆勤賞。生徒会にも携わったりと両立出来た。週末のしごとはどこかクラブ活動のようでもあって、けど、実はそれまでに見たこともない景色が広がっていて……。やって良かったと思います。

大学は上智大学に進学を

 日本とカナダ、どっちの大学にしようか迷って。で、結局日本を選びました。日本の大学は、上智大学に決めていて、それは既に受かっていた。その後に本命のカナダの大学があった。フランス語圏のケベックの大学で、フランス語の学びを深めたくて志望していたんです。ところが、受かるには受かったんですけど、現地はマイナス30度で、冬の間は地下道しか通れない、と話を聞いて。寒いのは苦手なんです(笑い)。それもあって上智に決めて。

芸能活動に本腰を入れようと思ったのはいつ

 大学を卒業したあとです。大学は、上智大学比較文化学部を選びましたが、ここがすごく出欠に厳しくて。もう、3回休んだら単位を貰えない、というような具合なんです。クラスの人数も20人程度なので、とてもじゃないけど、「代返」なんて出来っこない。それで、学校帰りに仕事を続けて。大学を卒業するとき、就職する、しないの話になった。そのとき、悩む背中に、母が「モデルやってみれば」と一言。それで、就職をやめて、モデル一本に絞っていくことに決めました。

転機になった仕事は

 在学中、モデルをする中で、20歳のときに、『MTV』というビデオジョッキーの仕事を貰ったんです。それが、英語を生かした初めての仕事だった。自分がずっとやりたかった英語を絡める仕事が出来たのは、大きな自信になった。それで、大学を卒業するとき、周りがドンドンと就職を決める中で、自分もハッキリしよう、と、ポジティブに芸能界に飛び込めたんだと思います。

像、お菓子、茶道とライフワークを多くお持ちです

 大学時代に美術史を勉強していて。東洋美術や仏教美術を学んでいた。そこで仏像に出会った。そのときに研究して、知識を蓄えました。仏像に対する愛着はその頃から一貫して変わらず、ずっと持ち続けていて、それが徐々に仕事に結びついた、という感じです。「仏像の本を出したいな」なんて、なんとなく言っていた時期があって、そうしたら、それをたまたま聞きつけた東京書籍の編集者の方が話を持ってきてくれた。他にも、私と仏像の写真を見た、と仕事が舞い込んだり……。お菓子作りにしても、やっぱり、一時期、物凄く作っていた。それをまた何かで見た編集の方に声を掛けられて。だから、何もかも私が一人でモノにしていった、というよりは、好きでやっていることを、見てくれた周りの方が仕事に繋げて下さった。それが次第に形になっていったという感じですね。

仏像の魅力は

 仏像、格好良いですよね。色んな時代を経たからこそにじみ出る風格がある。日本には、1400年前の仏像が安置されるお寺もあります。そうして人間に守られ、人間も仏像に守られてきた。そういう相思相愛な関係が、そんなにも長い間続いている、というのにも浪漫を感じます。あとは、私のいた比較文化学科は、様々の文化を仏像を通して比較していたので、仏像を通して色んな国を知ることができた。日本の仏像には本当に多くの国の文化が顕現している。見ていて楽しいな、と思います。

茶道について聞かせてください

 もともとは、祖母の着物を受け継いだのが始まりなんです。それを自分で着られるようになったとき、折角の着物を生かす機会をもっと作ろうと考えて。そういえば祖母は茶道をしていたな、と思い当たった。いざ始めてみると、今までは仏像を通して日本を知ってきたけれど、今度はお茶という観点から、もっと幅広く、日本にアプローチできるようになった。

茶道を始めて生活に変化は

 普段の生活とはまた違う次元の話なので、「いつも和装になった」とかそういうことはないです(笑い)。でも、お稽古を始めてからは、極力、着物を着て行くようにはしています。そういう時間を作ることで――非日常の空間に身を置くことで、一層豊かな時間を過ごせていると思います。

はな、茶の湯に出会う』について聞かせてください

 この本は、裏千家の機関紙の連載を拡大して、私の書き下ろしエッセイをまとめたものです。様々の職人さんとの対談、伝統工芸の体験が掲載されています。茶道の稽古を始めたのが2年前、それとほとんど時を同じくして連載も始まりました。最初はもう、本当に何も分からないまま体当たりのチャレンジの連続で。やっぱり大変でした。

本を通して日本文化への深い造詣を感じます

 そんなことは(笑い)。でも折角住んでいる国なので、もっと深く知っていきたい、という気持ちは常にあります。例えば、お茶会では、博物館にあるような茶器を使うこともありますが、その質感に歴史と、人の重みを感じてワクワクする。また、実際に茶器づくりをする職人さんと対談すれば、そこにどんな思いや伝統が込められているのかが分かります。茶室の掛け軸にはいつも禅の言葉があって、先生の解説を聞くたびに「なるほどな」と考えさせられる。そして、「おもてなしの心」。今回の茶会では一人だけを相手に心を砕きました。一服の抹茶を振る舞う間、いかに相手を楽しませるかだけを考え、空間を演出する。相手を喜ばすために細部に目を凝らすうち、日本文化の奥深さに触れる思いがありました。

今後の目標は

 お茶会はまたやってみたいですね。そういう機会があると、やっぱり頑張るのでハリがでます。一人であれ複数人であれ、「もてなす」というのをまたやってみたいな、って。今は「濃茶」を特訓中です(笑い)。まだまだ先は長いですが、楽しんで深めていきたいと思っています。 


はな 1971年、神奈川県生まれ。2歳から横浜のインターナショナルスクールに通い、17歳からモデル活動を始める。上智大学進学後もモデル活動を続け、テレビの司会、ナレーション、エッセイの執筆など活動の範囲を広げる。英語、フランス語に堪能。趣味は茶道、お菓子作り、仏像鑑賞。最新刊に『はな、茶の湯に出会う』がある。

 

 

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