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10代の地図帳
宇薄 岳央 さん(ラグビー選手) 

 宇薄岳央さん(33)はラガーマンである。所属は、『東芝ブレイブルーパス』。社会人ラグビー『トップリーグ』の名門だ。強豪・東海大仰星、同志社大でベスト4、社会人では入社すぐ夢だった優勝旗を手にした。2011年には、歴代屈指の名手・大畑大介選手のバトンを受け継ぎ、日本代表のポイントゲッターも務めた。円熟の今、ラガーマンとして、社会人としての思いを訊ね、十代の地図を開いた。
 ご出身は大阪ですね 

 大阪の茨木市というところで生まれて。小さいときは、よく、近くの万博公園に遠足に行ったり、家族で散歩をしましたね。 

 どんな少年だった 

 僕は、男ばかり3人兄弟の末っ子で。3人は、サッカー、バスケットボール、ラグビーと、それぞれ違うスポーツをやっていた。身長は、上から190、187、180……、僕が一番低かった。母が167、父が177と、その世代では高い方だったので、その血のおかげでしょうね。一番上の兄は特に活発で、水泳、陸上、野球と色々やったけど、最後はサッカーに落ち着いていましたね。 

 数あるスポーツの内、なぜラグビーを 

 小学校2年生のときに交通事故にあって。それで、半年間ほど入院することになったんです。なにしろ遊びたい盛りだし、もともと体を動かすのが好きだから、すぐにでも目一杯動きたいんだけど、しばらくは、リハビリで入るプールで我慢しなければならない。親もそこは頑固で、「サッカーやりたい」と口を尖らせても、「あかん」とソッポを向く。それが、なぜか、ラグビーだけは許してくれたんです。友達に誘われた「体験ラグビースクール」の話をすると、「それなら行っても良い」という。それで行ってみるんだけど、もう凄く楽しくて。グラウンドに入ってすぐトライできたのもあるけど、とにかく、体がスポーツに飢えていたんでしょうね(笑い)。そこからドンドンとラグビーにハマっていった。 

 ご両親はなぜラグビーを許してくれたのでしょう 

 あとになって聞いたら、「才能があるから、ぜひやらせてみて欲しい」と、スクールの先生に熱心に勧められたと言っていました。それが、小学校4年生の終わりごろですね。それまでは、スポーツは一切やらず……。でも、体はピンピンしているし、エネルギーも余ってる。なにより、悪ガキだったんで(笑い)、学校から帰ると、すぐ、ランドセルを投げ出して、公園に遊びに行ったりしていましたね。 

 当時、ラグビーに惹かれた一番の理由は 

 ラグビーのボールって不思議な形してるじゃないですか。「楕円球」っていうんですけど、初めて見て、手に取ったとき、ただパスをするのも難しくて。それを手や脇におさめて、疾走する。ステップを切って、相手をかわす。ときに接触するけど、それでもボールをキープし、トライする。中でもとりわけ「接触プレイ」は、もろに体と体のぶつかり合いです。眼の前に火花が散って、それでも前に進んでゆく。そういうのは今までにない面白さだった。それまでもドッジボールなど、間接的なぶつかり合いはあったけど、体同士で直接ぶつかるというのはなかったんで。それはスゴイ刺激的でしたね。 

 接触プレイに恐怖は 

 はじめたばかりの頃は、まだグラウンドでも大きい方だったんで、そういう優位性はありましたね。それでも、試合前になると、決まって物凄く緊張する。「明日の試合、ミスって抜かれたらどうしよう……」って不安になる。それは、今もあまり変わりませんね。 

 中学ではどんな生活を 

 小学校で入ったラグビースクールに通う一方、学校の部活でもラグビー部に入っていました。そのころのメインは部活で、そっちの試合に出場しながら、空いてるときにはラグビースクールに足を向ける。両方でラグビーをやっていましたね。 

 高校はラグビー名門校に進学します 

 大阪のラグビー強豪校・東海大仰星高校に進んだ。ちょうど、僕が中学3年のとき、東海大仰星が初めて全国優勝をしたんです。そのとき、たまたま声を掛けてもらって。「この高校はこれからまだドンドン強くなるんやろな」と思った。で、行きたいな、となった。 

 その頃、勉強との両立は 

 スポーツ推薦で入ったので、クラスはいわゆる「スポーツクラス」です。ラグビーだけじゃなくて、サッカー、バレー、柔道、野球……、あらゆるスポーツの選手が集まっている。当然、求められるのはスポーツの成績です。そういう意味では、普通科や特進の人たちよりは、大分、大目に見てもらえる環境で過ごしていましたね。でも、僕は生来、手を抜くのが好きじゃないんです。だから、どんなテストでも、キチンと勉強して点数を取りにいっていましたね。 

 大学は同志社大学に。受験勉強は大変では 

 難しかったですね。英語に小論文、あと面接。もちろん勉強はしていったけど、英語なんか歯が立たなくて。それでもう人間性でしか勝負できないなと、受かりたい気持ちを全面に出してなんとか突破できたという感じです。 

 同志社大を選んだ理由は 

 きっかけはラグビーの勢力図です。高校までは「西高東低」なのが、大学になると一気に逆になる。関西の有望株がみんな関東の大学に行ってしまうわけです。でも、僕は結構、この大阪という土地が――関西が好きで、「関西魂」というべきものが自分の中にある。やっぱり、「関東に負けたくない」という気持ちが強いんです。それで、関西の大学の勢力図を眺めると、当時、同志社が強かったんです。「同志社で日本一になれたらいいな」と思った。で、たまたま推薦も取れたので、「じゃあ、ぜひお願いします」と。 

 同志社大は傑出したラガーマンを多く輩出しています。尊敬する先輩は 

 沢山いますが、僕が東海大仰星で1年だったとき、3年生にいた正面健司さんがやっぱり同志社に行っていて。大学の話を聞いて楽しそうだったし、部の姿勢も基本的には自由なんだけど、「スタイルの中に自由がある」というのを聞いて、いいな、と思った。ただ単に自由で、「個々にやりたい放題やる」というんじゃなくて、「みんなで決めた方針の中で自由に動くのはOK」というんです。それは、凄く主体性が求められるし、ただ決められたことをやるよりは、考えてプレイする方が面白いんだろうな、と強く思った。同志社に決めるきっかけになったので。 

 大学ラグビー部の印象は 

 一流の選手が凄く沢山来ていて、「こんなにも差あるんや」というのが正直な印象でした。言ってみれば、僕も、高校日本代表やU19に選ばれてプライドもありました。そういう意味ではもっと通用すると思っていた部分が全く通用しなかった。有名でない選手でも凄く強いし、速い……。「自分、今まで狭い世界いてんやなあ」と感じたのはたしかですね。接触したときに、「こんな強いの」ってビックリして。 

 先輩たちに気圧されたりは 

 僕は負けず嫌いで。諦めが悪いんですよ。だから、あんまり心が折れるとか、そういうのはなくて。逆に、その人たちに負けたことで、もっと頑張らなきゃ、と火がつきましたね。 

 再びラグビー漬けの日々に 

 そうですね。そのときは高校から付き合っていた彼女にもフラれたんで、見返してやろうと思って(笑い)。それは半分冗談ですが、そこから、自分が決めた、関西で、同志社大学で日本一になるために、何をやればいいのかを考え始めた。で、それにはまずレギュラーにならなきゃいけないし、それが凄く大変だ、と。それでもう1年からガムシャラにやりましたね。 

 強豪・同志社で1年目からレギュラーを射止めます 

 自分でも、何かそういう運とかは持っている感じがしますね。同じポジションの選手が怪我をして、それでちょっとチャンスを貰って、それを掴んだ。 

 東芝府中に入社します 

 関西で優勝したい、と意気込んだけど、とうとうベスト4止まりだった。高校、大学と優勝がかなわず、日本一になりたい、というおもいが膨らんだ。そうした中で、当時、破竹の勢いだった東芝は凄く魅力的で。「関西に残りたい」という気持ちもあったんですが、お声がけ頂いたときに、「東芝なら日本一になれるんじゃないか。そしたら日本代表にも選ばれるかもしれない……」と。それで選んで。 

 社会人ラガーマンとしてどんなことに意識を 

 社会人のアマチュアのチームって、人数が決まっていると思うんですよ。入って来たら、その分だけ抜けてゆく。僕が入ったことで、東芝の時代を築いてきた先輩たちが辞めていったのもやっぱり事実なので。その人たちに恥じないような選手でもありたいな、と思っている。1年1年、毎年クビを切られる覚悟を持って、後悔しない1年にしよう、というのは、例年、シーズンが始まる前には必ず考えます。そのために、1年をどう過ごすか。自分という存在がチームにどう影響を与えて、どんな存在意義を持つのか。その結果、どうすれば日本一になれるのか……、それをいつも考えています。 

 社員とラガーマンの2足。1日のルーティンは 

 勤務体系は色々で、17時まで仕事のときもあれば、12時までのときもある。でも、やっぱり入社したての頃は、「ラグビーやりたいな。5時まで勤務ってキツいな……」と思うこともありましたよ(笑い)。年を重ねた今は、仕事とラグビーの均整が取れてきたというか。というのも、今いる部署は、元ラグビー部員が多いんです。ラグビーを辞めてもそこに残ってるくらいなので、みんな仕事に凄くプライドを持っている。電車の制御装置の出荷までの工程管理を担当するんだけど、みんな本当にプロフェッショナルで、出世とかもバリバリする。こういう人が上に立つんだとハッとさせられます。ラグビーでもプロフェッショナルな人は見るけど、それだけだとどうしても世界が狭くなる。良い刺激を貰っていると思います。職場で得たこういう考えをラグビーでも生かせないか……、ラグビーに還元する方法をいつも考えます。だから今は仕事が凄く楽しいですね。 

 今の目標は 

 入社してすぐ優勝して、そこから10年以上遠ざかっている。今度は、優勝を知らない若い世代と一緒に優勝したい。今はその試行錯誤の最中なんです。それはそれで楽しいんだけど、まだ結果が出ていない。結果が出せればもっともっと面白くなると思います。 

 若者にラグビーの魅力を 

 ラグビーを一言で言うなら「心技体」です。激しく当たり、グラウンドを駆け、一人が倒れると、他のメンバーに負担がまわる。そのときに必要なのは、素早く臨機応変なサポート対応と気遣いです。他のチームスポーツとは一味違う「人間力」が問われるスポーツだと思います。職場を見ていても、ラグビー上がりの人や携わる人は、良い人間が凄く多い。ラグビーは難しくてとっつきにくいと感じる人もいると思いますが、体験や観戦を通して、一人でも多くの人がそうした良い人間力を感じてくれたらもっとラグビーが盛り上がると思います。 

うすずき たけひさ 1985年、大阪府生まれ。東海大学付属仰星高校在籍中に花園大会出場。2004年、同志社大学入学。2005年・06年に大学選手権出場。2008年、トップリーグの強豪、東芝ブレイブルーパス入団。2008-2009シーズン優勝。2011年、日本代表に初選出。同年開催のラグビー・ワールドカップ・ニュージーランド大会に出場。これまで日本代表キャップを7度獲得。

 

 

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