10代の地図帳】

10代の地図帳

綾瀬 まる さん(作 家)

 彩瀬まるさん(32)は、新進気鋭の作家である。不思議な手触りのストーリーに、リアリスティックな情感が毛細血管のように張り巡らされるその美しく精緻な作風は、多くのリピーターを呼んでいる。5歳で踏んだアフリカの大地——。幼い日、異国の地で育まれた異邦人の魂は、思春期の激流のなかいつしか小説へと昇華されていった。俊英の十代を訊いた。

 千葉のお生まれですね。どんな環境で幼年期を

 私の父は公務員だったのですが仕事の都合で転勤が多く、幼少期は生まれ育った千葉県内を転々としていました。さらに私が5歳の頃、父に海外勤務の辞令が下り、5歳から7歳までをアフリカのスーダンで、7歳から9歳までをアメリカで過ごすことになりました。日本に帰って来たのは小学4年生のとき。そこから大学ぐらいまではずっと千葉ですね。

 目まぐるしく変わる環境に戸惑いは

 それが意外にあまりなくて。小さいころの方が異文化に戸惑いなく馴染めるというか……。結構楽しんで過ごしていました。

 スーダンの言語環境は

 スーダンにはイギリスの植民地だった過去がある。だから公用語は英語なんです。でもそのほかに、ネイティブの言葉と、アラビア語も主な言語として使われていましたね。

 日本ではどんな生活を

 帰国してすぐの一時期は帰国子女学級に通っていました。というのも、やっぱり日本と海外ではカリキュラムの進行なんかにズレがある。だからそこをすり合せる必要があるんですね。そのフォローアップで4年から6年までをそこで学び、中学からは私立の普通の学校に進みました。

 日本と海外の違いにカルチャーショックなどは

 アメリカでは、移民の子たちは国籍こそみんな同じアメリカだったけど、アジア系、アフリカ系、ラテン系……、人種が雑多に混じり合っていて、肌の色ひとつとっても一人ひとり違っていた。でも日本に帰ってみると、みんな見た目も似ているし、言葉も同じひとつの言語をベースにしている。同じ地域で同じ学校に通い、クラスごと持ち上がってくる。それがなんか新鮮で。

 海外生活で得たものは

 違う文化圏だったり、違うバックボーンだったりすごく遠方から来た子だったりが集まっている場所だったので。それぞれの当たり前が全然違うことを前提とした小学校時代でしたね。この子のうちどんなだろう、と遊びにいくと、もう部屋の匂いからして違う。お香だったり香辛料の香りだったりが空気の密度に確かな違いを生んでいる。日々の食べものが違うと、家の雰囲気まで変わるんです。そういうのをどこかドキドキしながら楽しんでいた部分があった。同じクラスにいてもみんな全然違うんだ、という感覚。それは日本に帰ってきてからも残って、一見似通ったクラスメイトを見ても、でも多分ひとりひとり違うんだ。全然違う生活をしてるんだ、というふうに想像する視点に繫がった。それを持てたのは良かったですね。

 思春期の興味の中心は

 思春期にさしかかると小説を書きはじめた。ちょうど中学に入ってすぐのころです。きっかけはそれまで見聞きしてきたものの総括というか——。それまでの自分の旅路を振り返り、アレはなんだったんだろう、と、自分のなかで解決しきれない思いがあった。気候や社会制度の相違。ものの見方、考え方もまったく違っていた……。そういうことを消化したくなったんだと思うんです。それで小説を書きだして。

 海外生活のなかで読書は

 それはかなり読みましたね。というのも、とくにアフリカのスーダンにいたときには、家にものすごい量の本があったんです。大使館に貯まったいらない古書をことあるごとに父は貰って来て、壁一面にダーっと並べていた。そのなかには漫画もあれば小説もあって。スーダンでは最高気温が40度を超える日も珍しくないため気軽に外に出られないんですよ。治安も決して良くない。子ども同士で誘い合って遊びに、という環境じゃないんですね。だから暇なときはひたすら本を読みました。

 印象に残る本は

 漫画『ゴルゴ13』とかを5歳のころ読んでいました(笑い)。ほかには手塚治虫の作品も読んだし、あとは……『のらくろ』。当時としたら二世代も前の漫画だったと思います。日本に帰ると、『ホワイトハート文庫』、『ティーンズハート文庫』などのティーンエイジャー向けの小説を読みはじめ、次いで『ロードス島戦記』等のライトノベル——あのころ流行っていたんですよね。で、小学校後半で、灰谷健次郎やミヒャエル・エンデの『果てしない物語』を手に取った。

 読書のメンター(指南役)はいましたか

 小学校のころは、母が、子どもに読みやすくて面白いものを、と選んでくれていましたね。中学にあがるとだんだん自分で親の本棚を覗きに行くようになって。父の、村上春樹や浅田次郎、開高建、沢木耕太郎を借りては、夢中になって読みました。

 小説創作の直接の契機は

 実は中学にあがってはじめは美術部に入ったんです。絵を描くのも昔から好きで。適当ではあったけれどよく描いていた。それで美術部に入って、油絵やいろいろのことを教わるんですけど、2つ上にものすごく上手な人がいたんです。もう明らかに才能がある。聞けばお父さんが日本画家だという。その先輩は、結局美大に行き、いまも画家として活動されていますが、それをみたときに、絶対どれだけ頑張っても、絵でこの人に勝つことはない、と思ったんです。で、じゃあなにか自分が一番になれるものはないだろうか——。それで試しに小説を書きはじめて。それを周りの友達に見せたら楽しんで褒めてくれる。以来調子に乗ってずっと書いています。

 上智大学に進学を

 通っていた高校は進学校だったので、周りには勉強のできる人が多かった。あんまり格好悪い結果だと恥ずかしいナって……。で、真面目に勉強を続けて大学に入った。だから、とくに大きな志とかそういうことではなかったですね。

 小説家を志したのはいつ

 入学したてのころはNHKのドキュメンタリーが好きなのもあって、なんとなく将来をメディアの方に感じていたので、メディア系の学科を選んだんです。でも、時が経つほどに少しづつ小説に傾いた。同じ日本語を連ねることには変わりないんだけど、記事を書くのか小説を書くのかだったら、小説を書いている方が自分には合っている……。で、大学の3年、いよいよ就職活動が始まるというころに初めて文学賞に投稿して。初めての投稿が三次選考まで残ったんですよ。それでまた調子に乗って投稿を続ける。でも結局、何度かは最終選考まで残ったもののデビューには至らないまま社会人一年生を迎えた。それでもやっぱり諦めきれないと出し続けていると、その年のうちにデビューが決まりました。

 記事ではなく小説を選んだ一番の決め手は

 実は私の初めての本は『暗い夜、星を数えて 3・11被災鉄道からの脱出』という震災ルポなんです。これは、なにかそういう狙いを持って書いたものというんじゃなくて、たまたま東日本大震災のとき、私が被災地に居合わせて——。福島県新地町。津波で折れたあの日の電車のなかに私はいました。震災から一週間後、関東の家に帰り、お世話になっていた担当の編集者に「ご心配をおかけして。無事戻りました」と連絡をした。すると「いま全然被災地から報せが入ってこない。情報が圧倒的に不足している。短いものでもいいから見て来たことを書いてみないか」と言われて。それで自分の見たもの、体験を書いた。それが一冊の本にまとまって——。そのときとくにを遣ったのが、とにかく本のなかに自分を出さないこと。客観に徹すること。自分自身を情報の筒のように変形させて書くんですね。それが難しくて。やって良かったと思える仕事なんですけど、結果として、自分の内側で起こることよりも自分の外側で起こることを書く方が私には難しいんだと感じた。恐らく使う回路が違うんですよね。もちろん、その本を書くことで、自分が普段使わない筋肉を使ったから、そのあと書けたものも一杯あるんです。けれど、自分の外側を書くときには凄く「私」を無くす必要がある。「目」だけの存在になる。で、おそらく私は自分の感じたことを、内部の出来事を書くのが得意なんですよ。自分の感じたことを作品を通じて読者に提示して、それを踏み台になにか考えてもらう。私はこんな罪深いことや、みっともないことも考えることがあるっていうのを、力を込めてアクセルを踏み込むように書くのが得意なんです。私を殺して外側のことも書くには書けるけど、そうしていると一番得意なアクセルを踏んでないような気持ちがあって。それが多分回路の切り替えがあってもどかしさを感じたんだと思います。

 作家を目指すのはやはり一大決心。ためらいは

 私の母は42で亡くなっているんです。乳癌でした。十年ほど闘病して亡くなったんです。病気が発覚したのは、一家が海外赴任する矢先のことでした。結局母は手術をして、そのまま海外に行きましたが、記憶のなかの母はいつも楽しそうでした。それでも母がそうして亡くなれば、自分も42で亡くなる可能性をどうしても考えてしまう。人生が早めに終わる可能性を想像する。それを思ったとき、なるべく自分が好きだったり、価値を感じることに時間を費やして死にたいという気持ちがあった。だったら自分が一番生きててやりたいと思うことに人生を使おうと、作家になろうと決めました。

 最新作『不在』について聞かせてください

 主人公の明日香は、自分が子どものうちはなるべく良い子でいなくちゃいけない。出来る限り親と仲良くしていたい、と考えている。自分の行動の指針が自分自身ではなく、親であったり、社会規範であったりする。私自身、学生時代、それこそ社会に出てからもしばらくは、自分がいいと思うからやる、自分がやりたいからこれをやる、というふうに行動指針の根に自分を据えるのを難しいと感じていた。いつもどうしてもなにか自分より大きなもののジャッジに従いたくなってしまう。もしそのジャッジに違和感を持っても、その違和感を頼りに生きることができない。その違和感を頼りに生きていいんだ、と思えるようになったのは、社会に出てある程度年数が経ってからだった。自分の内面の声を人生に生かしてもいいんだよ、というのがこの小説のメッセージです。人生を選択する勇気がなかなか出ない、そんな人たちに、そんなときに読んでもらえたら嬉しいですね。 

あやせ まる 1986年、千葉県生まれ。上智大学文学部卒業。2010年「花に眩む」で「女による女のためのR-18文学賞読者賞」を受賞しデビュー。2012年、罹災体験を綴ったノンフィクション作品『暗い夜、星を数えて 311被災鉄道からの脱出』を発表。2016年『やがて海へと届く』で第38回野間文芸新人賞候補。2017年『くちなし』で第158回直木賞候補。他の著書に『骨を彩る』『神様のケーキを頬ばるまで』『朝が来るまでそばにいる』など。最新刊に『不在』がある。

 

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