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10代の地図帳】

矢部 太郎 さん(お笑い芸人) 

 お笑いタレント・カラテカ矢部太郎さん(40そう聞いて連想するのは、コンビで舞台に立つ芸人の姿か。クイズ番組で雑学を披露するタレントか。バラエティーで多言語を習得し、海外を飛ぶさまか。世代による違いはあっても、その独特のキャラクターが脳の片隅に住み着いて離れない人も多いはずだ。それが今度は漫画家デビューで「大家さんと僕」である。それも、いきなりの手塚治虫文化賞短編賞受賞というから驚きだ。絵本作家の家に生まれ、お笑いと漫画家の二刀を抜いた異色の才能に十代を聞いた。

 どんな少年期を

 よく「大人しかったんじゃないの」なんて言われることもあるんですが、小学生くらいのころは実際かなり活発でしたね。通知表のコメント欄にも〈落ち着きがない〉〈うるさい〉といった注意書きが並ぶ。賑やかなのが好きで、ちょっと授業を邪魔しちゃうような……、そんな子でした。

 そのころの遊びの舞台は

 そんなふうですから外でみんなと元気に遊ぶ、ということが多かったと思います。でもその反面、家でひとり、静かに絵に没頭することもありましたね。

 お父様は絵本作家ですね

 父は家を仕事場にしていて、幼い僕は黙々と作業するその背中をいつも見ていた。画材や筆記用具も豊富にあって、小さいころから絵を描くのは自然なこと、という感覚がありました。動物園や近くの公園に父がスケッチに出るときには、きまって僕も自分用の道具を持ち出し、ついていく。親子で並んで絵を描いたりもしていました。

 お父様の作品の記憶は

 物語もありましたが、どちらかと言えば語りかけるタイプのものが印象に残っています。絵本を開くと少しだけ空いた窓から、チラっと何かが覗く。「コレなーんだ?」……。で、それがクイズになってたりもする。こういうのって、一度見たらもう答えは分かってしまいますよね。だけど、実際に子どもにやって見せると、「もっかい、もっかい」ってなる。答えはもう分かってるわけだから、めくる前に言っちゃったりもするんだけど、それでも楽しい。父は造形教室もやっていたので、子どもがそれを楽しがることを、ちゃんと分かって作っていたのかなと思います。あるいは、僕がそれを楽しんでいるのを見て、それをもとに作品を考えていたかもしれないですね。

 ご兄弟は何人

 姉がひとりです。でも、どうやら姉は、妹が欲しかったようで、僕が生まれたときは、悲しくて泣いた、なんて聞きましたけどね(笑い)。そんなことから姉はよく、僕に女の子の服を着せてたと聞いています。

 お母様との思い出は

 母は外に働きに出ていたこともあって、あんまり家にいなかったですね。夕方になると帰って来て、ご飯を作るという感じで。だから父との方が接する時間は長かった。そういう意味では普通の家庭とは逆ですね。

 思春期には何に興味を

 僕、部活に入ったことがないんですよ。その代わりというか……、中学のころはひとりで漫画や本ばかり読んでいた。絵本をはじめ、家には沢山の蔵書があったし、それ以外にも図書館や本屋で多くの本に触れることができた。放課後の自由な時間をあらん限り本の世界で過ごしたわけです。それだから、いまだに部活の実態ってどんなか分からないんですよ。

 当時、将来の夢は

 小さいころからいろんなものに憧れがあって。で、それはやっぱり好きなものに直結していた。漫画が好きだから漫画家になりたいと、『漫画入門』を読み、プラモデルが好きだから「田宮模型」に入りたいと思った……。ただ、じゃあ本気で漫画を描くのかと言えば、そこまではいかない。なにか漠然と、楽しいことを夢想していただけだった。「これになりたい」と決めて努力していたものはまだなかったですね。

 東京学芸大学に進学を

 とくにこれといってなりたいものがない——でもだからこそ、大学は行こうと。それで予備校に行きました。実はそれまで習い事というのをあまりしたことがなくて、それこそ小学校の空手以来だった。東京学芸大に入ったのは、ほかのめぼしい文系の私立に落ちちゃったから。別に教師を目指していたわけじゃないんです。そもそも第一志望は都立大だったんですが、それに落ちて後期で学芸大を受けた。センター試験の点数が十分だったのと、小論文で受けられる——そう聞いて。まあ一応受けてみるか。でも浪人だろうなァ……、半ば諦めていたのが、蓋を開けたら合格していた。

 国際教育学に興味が

 いやそれがまったくないんですよ(笑い)。たまたま偏差値とセンター試験の兼ね合いで受けれる学部だったというだけで。そこは本当にもう全然で(笑い)。

 大学は中退を。これは

 8年通ったものの、単位が取得できずに。これはそのころはもうお笑いをはじめていたので、その兼ね合いというか……。釣り合いの難しさの結果です。あとはやっぱり「先生になろう」という気があんまりなかったんだろう、と。もともと「大学の間になにかやりたいことが見つかればいい」ぐらいの感じでしたからね。ちょうどお笑いも楽しくなってきてるし、やりたいのはこれかなって。で、見つかったから辞める。そこに抵抗はそんなになかったですね。

 お笑いに進む契機は

 高校の同級生の入江君に誘われたのがきっかけですね。それからネタ見せに行くようになって。入江君はすごく積極的で、とにかく行動派なんですよ。高校のときに『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』という番組があって、そのなかでたけしさん自らがプロデュースを担当する〈若手芸人お笑いファクトリー〉という企画が立ち上がった。それに応募したところ、見事合格したんです。オーディションの現場には僕たち学生に混じってプロのお笑い芸人もたくさん来ていた。そのなかでたけしさんご本人を前にネタ見せをするんですが、それに受かったんです。結局、その企画自体は盛り上がることなく、2、3回で打ち切られてしまうんだけど、僕ら自身は、どこかたけしさんに「面白い」と言われたような余韻が残った。それでなんか勘違いしちゃって、ここまでやってきた、って感じですね。

 芸人という道にご家族は

 本当にこれまで親に「なにかこういうことをやれ」と言われたことがなくて。「こんな職業に就け」というのも言われたことがない。だからべつに「お笑いやりたい」というのも相談しなかった。いつもただ応援してくれ、ただただ尊重してくれる。でも大学だけは卒業してね、と母に言われましたけどね。卒業してないんですけど(笑い)。学費は自費で賄ったので、それでなんとかお願いします、という感じですね。

 お笑いにはどんな想いを

 いまでも自分がお笑い芸人に向いているとはあまり思わないんですよ。でもやっぱり、特徴的な見た目だったりはするので、そういうのは適性があるのかなとも思います。

 吉本興業に入ります

 吉本興業では、いまは運営する吉本総合芸能学院に入学して芸人になる、というのが主流です。でも僕らは、まず吉本のライブのオーディションを受けて、それからライブに出させてもらうというかたちだった。

月に一度だけ吉本の舞台にあがる。本当にただそれだけなので、最初のうちは「吉本に入った」という気持ちはそんなになかったんです。それがいつの間にやら月2回になり、出番が増えて、テレビのオーディションも受けさせてもらうようになって……。気づけば、吉本のタレント名鑑に「アレ、出てる」。なしくずしというか、そんな感じで。

 漫画を描こうとはいつ

 それは、この漫画を描く、となったまさにそのときからですね。それまではまったく意識していなかった。作品の原点は、なんといっても、大家さんとの出会いです。大家さんと仲良く過ごすなかで、たくさんのエピソードが生まれた。と同時に、その話を面白がってくれる人もどんどん増えていった。で、なにか作品にしてみたら、と薦められて、気づいたら漫画を描いていた。

 漫画を選んだのはなぜ

 いままで漫画こそ描いてこなかったものの、絵は好きだし描けるとも思っていた。というのも、舞台のネタで使うフリップの絵や、ポスターを描いたりするのは僕が担当していたんです。だから自信がないではなかったけれど、展開が急なのには驚きました。ビックリしていまもフワフワしてます。漫画家のフリしてるけどコレいつバレるんだろうって(笑い)。

 お父様は喜ばれたのでは

 父はやっぱり喜んでくれましたね。あんまりお笑いの仕事ではないような反応でした。いっぱい本も買ってくれて、いろんな人に配ってくれました。父と二人で講演会に行く、というような仕事も取って来てくれたりして(笑い)。そういえば、父の作品には絵本のほかに紙芝居もあるのですが、そちらが僕の漫画の形態とよく似ているんです。僕の漫画のコマ割りも、ずっと同じものが続くんですが、そういうのは父の影響が色濃く出てるのかもしれませんね。

 作品についてひとこと

 父の絵本の記憶、それに『電波少年』というドキュメントバラエティーで得た経験が、自分の現在を客観化したり、ああいうユニークな大家さんを捉える視点を持たせてくれたんだと思います。そう考えるといままでのすべてがいまに生きているのかもしれない。

 今後の目標は

 目下、続編を出すべく、週刊新潮で鋭意連載中です。週刊連載というのもなかなかできない経験なので、「いま自分、週刊でやってる」と楽しんでいます。なるべく土日でやろうと思っているので、いまは劇場の出番を終えると家に帰って漫画を描くという生活ですね。こんなに働くチャンスもそうそうないことだと思うので、チャンスと捉えて取り組んでいます。あとひとつ、漫画を描くようになって良かったことがあります。舞台で滑ったり、仕事がうまくいかないとき、いままではひとり悶々としていたけど、いまは、「ああ、もうコレ漫画に描けばいいや」となる。発散できる。これは凄く楽になります。同じようにラジオとテレビをそういうふうに上手に使う人を見るので、自分もそういうふうになれればいいな、と思います。

 

 

 

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