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10代の地図帳

SHOCK EYE さん(湘南乃風)(ミュージシャン)

レゲエグループ「湘南乃風」の「SHOCK EYE」さん(43)、武骨とシャレっ気の塊のグループに、深みを持たせるグループの清涼剤だ。強運の持ち主とゲッターズ飯田氏に占われ「歩くパワースポット」としても知られ、執筆から音楽活動まで、そのセンスフルな活躍は枚挙にいとまがない。新刊『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』(講談社刊)には、随所に暖かみある人生のエッセンスが滲む。辛酸を舐めた青年の頃……、異才の十代を訊ねた。

 神奈川のご出身ですね

 神奈川の茅ヶ崎で幼年期を過ごして。その後、幼稚園卒園のタイミングで、母のルーツだった鎌倉に越し、そこからずっと鎌倉です。山と海に囲まれた神社の境内に、子ども同士で寄り集まって独楽を回したり、夏になれば浮き輪片手に、海へ遊びに行って——。僕は、男ばかり3人兄弟の真ん中で、年子の兄と一緒によく遊んでいたのを憶えています。家庭を守る母は、今でいう〝ワンオペ〟で、忙しく働く父が家でゆっくり過ごすのは週末だけ。平日、仕事で帰ってくるのは夜遅く、厳しい人で、口数も多い方ではないので、とても怖かったのを覚えています。

 その頃の将来の夢は

 憧れの職業とか、将来に対する夢や希望みたいなのはあんまりなかったですね。それよりは、とにかく目の前に没頭というか。未来に向けて主体的にビジョンを描くようなことはあまりなくて。そんな日常が変わったのは、小学校4年のときです。受験勉強を始めた。それまでも、兄が受験対策を頑張るのをそばで見ていたけど、いざ始めてみると、学年で受験するのは僕ともう一人だけだった。その子は、もうホントに『ドラえもん』の出木杉君みたいに優秀で、後に東大に行くんですが、とにかく僕は、その子に次いで2番目の成績だった。そうなると今度は、周りの目が変わってくるんです。今までは、ただのヤンチャ坊主扱いだったのが、たちまち一目置かれるようになる。親たちも手放しで褒めてくれる。これには当然、僕も悪い気はしないわけで、勉強という自分の強みにプライドを見つけて、思いがけず鉛筆を握る手に力が籠っていました。

 当時、受験に対する意識は

 算数が得意で、解けると楽しくてハマっていました。反対に国語は苦手で……。でも、受験はどちらも必要なので、途中からは家庭教師の力も借りて、学力を補いました。その頃は、この勉強を続けるとどう将来につながってとかそういうのは考えずに、ただ目の前の問題を解くことに没頭していて、そういう意味では相変わらずだった。受験というものを全然ロジカルに考えてなくて、ひたすらクイズを解いているような感覚というか。なんだったら、別に受験なんか受からなくていいとすら思っていた。でもそうしたら、ある日母が「受からなかったら隣の中学だからね」って言うんですよ。つい先日、近所の中学1年生とケンカしたばかりで気まずくて隣の中学に行くことがすごく嫌だったんです。だから、絶対受かんなきゃってなった。そんな学校行ったら絶対イジメられるし、悲惨な学校生活になるに決まってるってね。つまりそうやってケシかけられたわけです。

 見事受験を突破、しかし、今度は高校を中退されます

 中学に入るとまたすぐ勉強が始まったんです。これに心底辟易してしまった。「またか」とね。自分の中では、一生懸命に受験勉強をして受かって、結構やり切った気分だったんです。それが、なんなら、より一層ハードな勉強が始まってしまって。赤点3つ取ったら即留年な上に、それが年6回も襲ってくるわけです。成績も学年はおろかクラス順位まで事細かく張り出されて、そうすると自然、校内の価値基準もそれに依存するようになる。教室の話題の中心は専ら、どこの大学に行くかの一色で……、これはちょっと違うな、と思い始めた。僕自身はといえば、どこか自分の将来と大学進学が結びつかず、友達と適当に街に繰り出す方が楽しいとサボってばかりいた。でもそうすると選りすぐりが集まった進学校ではすぐに脱落してしまうんです。結果として授業にもすっかりついていけなくなってしまった。

 中退後、進退に不安は

 もう天国から地獄みたいな感じでしたね。もちろん、自分が問題を起こしたせいで学校を退学したから自業自得なんだけど、なにせまだ若干16です。それも、小学校4年の頃から親の期待に応えようと、コツコツと努力をしてきたわけで、退学だってなりたくてなったわけじゃない。ちょっとした悪さを見つからないようにコッソリとやっていたつもりが、大変なことになってしまった。だから、退学を言い渡されたとき、ホントに受け止め切れなくて……。先生に、「親には自分から言え」と告げられて、茫然と帰路についたんだけど、もう真っ直ぐ歩けないんですよ。芝公園をグルリと回る道すがらグラグラと頭が回って、足元がおぼつかず、何度もコロコロひっくり返って。仕方なく、しばらくそこで揺れが治まるのを待って、やっと帰った。父はスゴい厳しい人なんで、コレは真剣にヤバいと。人生最悪の日でしたね。

 ご両親の反応は

 それが思ったより怒られなかったんですよ。もちろん怒りはするんだけど、父も母もどちらかというと言葉を失って……。ただ、それまでも、散々、髪の毛を染めたりとかピアスを開けたりだとかの素行を見てたわけで、もしかしたら少し予感はあったのかもしれないです。親子関係も悪かったし、結果のすべてを僕に押し付けるということはしなかった。逆にこのことを機に家族と僕は、しっかりと向き合うことになったんです。両親は、進学校に進んだことで、僕に安心して少し手を放しすぎたことを認め、もう一度、息子を正そうと歩み寄ってくれた。退学の一週間後、新しく染め直した金髪もまぶしい我が子を車に乗せて、父は長野の野尻湖を目指した。そこは学生時代、ボーイスカウトをした父の思い出の場所で、小さい頃から何度か連れられてきていた。本当に何にもないところで、面白いものとか一切ないんだけど、でもそのときは、それが何か癒されたんですよね。で、謝られた。「構ってやれなくてごめんな」ってね。親父はちょくちょく謝るんです。人生で2、3度しかないですけど(笑い)。

 そこからどう方向転換を

 それで、もう普通の学校はヤだと——学校にガラガラとシャッターを下ろされたわけで、自分が入ったらまた迷惑かけちゃうというのもボンヤリ分かった。で、大検の予備校に通うことにしたんですけど、そこで音楽に出会うんです。人生の再起をかけた予備校の入学初日、いきなりケンカになっちゃって。僕って別にケンカが好きとかじゃないんですよ。どうしても引けないってなるとついケンカになっちゃうだけで(笑い)。そのときは、たまたま一緒に学校を辞めた奴の一人が居合わせて、そいつが絡まれてケンカをはじめた。それの助太刀で僕も割って入って。ところが、そいつは早に腕を痛めて離脱して、結局、僕が相手を引き受けるんだけど、それが190くらいある巨漢なんです。マジか……、ってなって。で、鼻血は出るわ予備校のガラスは粉々だわで——、初日ですよ?。ヤっちゃった……、と喫煙所で一人うなだれてると、後ろから「派手にやってたね」と声をかけられた。その彼が僕にDJの世界を教えてくれて。

「湘南乃風」デビューのきっかけは

 短大を出て少し経った頃、僕らはまだソロ活動をしていて。でも、その頃から後のメンバーの4人一緒に行動することが多くなっていったんです。そんなとき若旦那が「コンピレーションテープ」(オムニバス形式のアルバム)をみんなで出そうと言い出して——。そのタイトルが「湘南の風」だった。デザインやテープづくり、営業まで、必死で駆け回り、持ち寄って買ったオンボロのワンボックスカーでツアーを回る。すると懸命の活動は功を奏し、当初、2000本だったテープはあっというまに売り切れ、気づくと20000セールスを越えていた。それがレコード会社の目に留まって。

「歩くパワースポット」と呼ばれた契機は

 音楽の世界で軌道に乗り始めたある日、所属する湘南乃風の番組で、占い師のゲッターズ飯田さんとご一緒する機会があったんです。早速、鑑定してもらうことになったんだけど、一目見て「運のステージが違う」と驚いた。続けて「運の高さのレベルが半端じゃない、『歩くパワースポット』だって」——。正直なところ、運のステージとかパワースポットだと言われてもちっともピンと来なかった。それまでに何か特別な運気を感じたこともあったわけじゃない。それでも、とにかく「スゴい」と言われてるのは分かって、それが物凄くこそばゆかった。その頃の自分は、何しろ自己肯定感が低かったし、どうしても自分が強運の持ち主とは信じられなかったんです。ところが、その日を境に間違いなく何かが変わった。というのも、そのテレビを見た人たちが、「歩くパワースポット」の恩恵を受けようと、僕を待ち受け画面にし始めたんです。それをきっかけにSNSには続々と〝いいこと報告〟が届いて……。そこから、自分を「歩くパワースポット」と信じてくれる人たちのためにも、その名に恥じない人間になろう、と内面に変化が起き始めて。

 具体的にはどう変化を

 最初、運気の探求を始めたんです。「歩くパワースポット」と呼ばれたからには、まずは運気について深く知ろうというわけだけど、とにかく、運についてはもちろん、心理学、行動学や自己啓発本と、理解できるまで読み込んだ。本を読むのは昔から好きだったので、それは苦にはならなかった。そうするうちに、ある法則に気付いたんです。どの本も軸足はポジティブシンキングなんですよ。つまり、これを運の観点で言うなら、「ポジティブな行動とポジティブな思考に運は味方する」ということになる。キーはこれなんじゃないか……、意識の萌芽を確かなものにしたのは、ふと耳にしたケネディ大統領の逸話だった。大統領が訪問先の宇宙センターで、清掃員に、何をしているのかと問いかけたんです。すると清掃員は、人類を月に送る手伝いだと答えた。それを聞いた瞬間、「これだ」と思った。人生や視界は意識の持ちようで180度生まれ変わる。仕事のやりがいも楽しさも、自分がそうだと確信を持って歩めばいつだって最高の環境にできる。それから何事もポジティブ思考を心がけるようになっていって。目に映る世界は急速に色づいていった。

 神社も廻られてるとか

 「歩くパワースポット」と呼ばれるけど、一体何をしたらその言葉に恥じない人間になれるのかが分からない。それでとりあえず形から入ってみようと神社に参拝することを始めてみました。ツアー中もスタッフに声を掛けて土地ごとの神社を詣でる。そうするうち、不思議に心が整い、悩みが減っていく自分に気づいたんです。そうやってどんどんハマっていって。

 最後にメッセージを

 今振り返って思うのは、どんな道に進んでもいいんだけど、すべてが平坦な道ばかりではないということ。新しいことへの挑戦も、いくつになっても不安が大きい。それでも、終わったときはやっぱりやって良かったと必ず思うんです。これは、父の言葉なんだけど、「一本の柱を強く太くするのはもちろん大事だけど、もう一本立てるのもスゴく大切だ。得意なことばかりに気を取られず、見識を広げて苦手なことでもなんでもやれ。なにしろ一本より二本の方が大きな屋根をかけられる」と教えてくれて、ずっと心に残ってる。「湘南乃風のSHOCK EYE」という肩書に加えて新たに「歩くパワースポット」と呼ばれて、神社探求に出版にと挑戦を新たにしてきたけど、この言葉がいつも胸に暖かく灯っている。コロナ禍で大変な世の中だけど、可能な限りポジティブに、自分の可能性に挑戦してもらいたいですね。

ショック アイ 1976年、神奈川県生まれ。RED RICE、若旦那、HAN-KUNと共に「湘南乃風」を結成。2003年、アルバム『湘南乃風 〜REAL RIDERS〜』でデビュー。これまでにシングル19作品とアルバム7作品、ベスト盤2作品をリリース。2011年にはポルノグラフィティの新藤晴一、サウンドクリエーターの篤志と共にTHE 野党を結成。また、近年は℃-uteやジャニーズWESTYouTuberのフィッシャーズなど幅広いジャンルのアーティストに楽曲を提供している。著書に『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている小さな習慣』、『歩くパワースポットと呼ばれた僕の大切にしている運気アップの習慣』がある。

 

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